松陰先生にふれて

最近、幕末に興味が戻って、吉田松陰先生が野山獄や杉家幽室で幽囚の生活を送っていた当時に、同囚および親戚の者とともに、『孟子』を講読した際の読後の感想や批評・意見等を一書にまとめた『講孟余話』を読み始めました。

これが、また面白くて!

まだ、『孟子』を読んでいないということで、『論語』に続き、『孟子』を読みたくなっていますが、これだけでもとても松陰先生に惹かれるばかりです。

今思えば、閉鎖病棟でも読書会のようなことができればよかったなと思っています。
松陰先生なら、デイルームで『孟子』の講読をしたのだろうなと思ったりもします。

以前も書きましたが、統合失調患者が政治家は難しいかもしれない。
それは、統合失調症が妄想を伴うものだからです。
統合失調症患者には発言の信用がないのです。
身障者が政治家になるのとはまた異なる状況があります。

私はまず、修身。身を修めるところから入ることが大切だなと思いました。

それなら、精神障がいがあっても取り組める。
というか、これができれば精神障がい者ではなくなると思いました。

修身の実践には『大学』という書物があります。第四章には『修身の実践』の項目もあります。

それ以前の『小学』という書物もあるらしいのですが、まだ目に触れたことはありません。ChatGPTで少し解説はしてもらいましたが、真偽は定かではないので参考程度にしています。

四書を読むときは、まず、『大学』から読んだらいいということでしたが、『論語』を先に読んだので、『講孟余話』を写本した後、『大学』を読んでいこうと思います。

身を修められれば、自分を取り巻く状況も好転するかもしれないなと思いました。

日本にはかつて素晴らしい教育システムがあったのだと、思い知り始めています。

自分ができたところまでを教え合いながら、知らない自分を知って学んでいく。

遅ればせながら、そのような場所を作れたらいいなと思ったりしています。

今いえるのはそれぐらいのことですが、身を修められると世界が変わるかもしれないなと思いました。

2025/07/06 1:02:42 キクシェル

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