キクシェルとイイカンジ
仏教と戦争
仏教と戦争についてのキクシェルの私見
小説を書くにあたり、いろいろと記事をあたっていたら、「仏教は戦争に加担した」というような記事を目にした。
これは、戦国時代とか幕末とかも仏教は戦争に関与してたりすると思うので、そうなんかなと思ったのだが、大東亜戦争の時、阿弥陀如来の大仏が武器に供出されたということを知ったときは非常にショッキングだった。
そして、「天皇陛下は阿弥陀である」「だから、阿弥陀の言うことを聞くなら、天皇陛下の言うことを聞け」というすり替えがなされていたというので、どうして、それを受け容れたのかなと疑問は残るところである。
阿弥陀如来は天皇陛下と圧倒的に違うものだろうと思うから、最初の前提の式が間違っている。
我々は天皇陛下と阿弥陀如来を混同してはならないということが第一に重要かなと思う。
また、「浄土を作るために戦争をした」というのも、解せない。
「浄土には戦争は無い」はずだからである。
「戦争」は起こさなければ起きないので、戦争があるということは誰かが戦争を起こしたということである。
そして、私たちは「次の争いを起こさないこと」が最も重要であると思っている。
私たちはよくよく、考えておきたいことである。
「浄土には争いはない」それが、イイカンジの「喜楽浄土」。
それが、各々の中に作れれば、私たちの争いは終わるかもしれない。
私たちがじゅうぶんしあわせなことに気づけますように
2024/11/10 10:54:31 キクシェル
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