なんだかわかりませんが、私には自立が必要なようです。
この年になって、完全に自立できていない現実に腹立たしい思いです。
六龍鳳占いで空龍らしいので、自立はマストらしいのですが、いかんせん、実現できていません。
精神疾患になって、自立がより難しくなり、作業所や障がい者雇用などを経て、やっとの思いで就職したものの、現状は、症状が出て休職中。
課題として、私にずっとつきまとってるのがこの自立という課題です。
今日は、真剣に自立ということに向き合ってみたいと思います。
自立の定義からいきましょう。
「自立」とは、「他の援助を受けずに自分の力で身を立てること」の意味であるが、 福祉分野では、人権意識の高まりやノーマライゼーションの思想の普及を背景として、 「自己決定に基づいて主体的な生活を営むこと」、「障害を持っていてもその能力を 活用して社会活動に参加すること」の意味としても用いられている。
自立とは上記のようなことであるので、「親からの自立」と言えば、超訳してみると、
「自己決定に基づいて、親から離れ、主体的な生活を営むこと」
「障がいをもっていても、親から離れ、その能力を活用して社会活動に参加すること」
のようです。
大切なことは、「親から離れる」ということだったようです。
実際、親と暮らしていると自己決定ができづらく、主体的な生活は難しいです。また、実家からだと地理的な面もあり、能力を活かして社会活動に参加することはしづらい面もありました。
また、本来の「自立」から考えた「親からの自立」というのは、
「親の援助を受けずに自分の力で身を立てること」
と、言い換えることができます。
「親からの自立」をする上で、先ず、自分にはできると思うことが大事だろうと思います。
自分の力と縁を信じることが大事だと思います。
次ぎに、自分の力で身を立てることについて、考えてみたいと思います。
定義から生きましょう。
「身を立てる」
1 立身出世する。
2 生計を成りたたせる。
とあります。
自分の力で身を立てるというのは生計を成り立たせていれば身を立てたことになるのだということです。
つまり、以上のことをまとめると、「障がいをもっていても、自分の力で生活できていて、経済的にも精神的にも自分で自己決定でき、人生の舵取りができて、能力を活かして、社会活動に参加すること」と解釈できます。
立身出世は自立の第一の意味ですが、私はあまり価値を感じていないので、生計を成り立たせる方に重きを置きました。
では、社会活動とは何か。定義を見ていきましょう。
社会への奉仕を主な目的として行われる活動。営利企業が利益の追求ではなく公益のために行う活動などを指すことが多い。(2011年11月3日更新)
さらにまとめると、「障がいをもっていても、親から離れ、自分の力で生活できていて、経済的にも精神的にも自分で自己決定でき、人生の舵取りができて、能力を活かして、社会の公益のための奉仕に参加すること」ということになります。
現状、私は親から離れ、支援制度を使いながら生活しています。自分の力で生活となると、やはり、仕事の必要が出てきます。現在、休職中ですので今後の進退はこれから決めていくことになります。もとの職場に戻るのか、それとも新しい仕事をするのか。それはまだわかりませんが、何らかの仕事をしようと思います。仕事をしていれば、社会の公益のために奉仕できているとも言えます。
仮に、仕事をしなかったらどうなるか。収入がないと経済的に追い込まれ、自己決定できなくなりますので、最低限の収入は必要です。
そこで、大切になってくるのが「人生の舵取りをして、能力を活かして、社会の公益のための奉仕」というところになります。
人生の舵取りというのは自分の意志や判断に基づいて考え行動することでなされます。
そして、能力を活かす。これは、今まで持っている能力を活かしていく。
そして、社会の公益のための奉仕。平たくいえば、世のため人のために働いているということでしょう。
私が定義する「自立」とは、「障がいをもっていても、親から離れ、自分の力で生活し、経済的にも精神的にも自分で自己決定し、自分の意志や判断に基づいて考えて行動し、能力を活かして、世のため人のために働いていること」と言い換えられました。
働くとは「傍」を楽にするという話もありますので、周囲を楽にする活動をしているといいのかもしれません。
「自立」を平たくいえば「障がいをもっていても、親から離れて、自分で決めて考えて行動し、能力を活かして、世のため人のために働いて、自分の力で生活すること」
そういうことなんだなぁと思いました。
今回はキクシェルの「自立」について考えてみました。皆さんなりの「自立」の答えがあると思いますが、何かの参考になればしあわせです。
皆さまのご多幸をお祈りいたします。
キクシェル
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