省略

今日は、金融のことに書いてある本を読んでおりました。
そこで、思いついたことは金融のことではなかったのです。

どのような関係の図を見ていたかというと、下記のような図です。

紙幣の誕生のところなのですが、キクシェルAさんが、キクシェルBさんに代金を支払う場合の図です。

前提としては、金細工師は、貨幣を鋳造するための金の保管庫(金庫)を持っており、キクシェルAさんは金が泥棒にとられないように、金細工師の金庫に金を入れました。その代わりに預かり証をもらっていたということです。
左の図からいきますと、キクシェルAさんはキクシェルBさんに代金を支払う必要が出てきました。そこで、キクシェルAさんは預かり証を持って、金細工氏のところに行き、金庫から金を持ち出し、それをキクシェルBさんに渡しました。しかし、キクシェルBさんは泥棒にお金を取られるのが不安で、金細工師の金庫に金を預け入れました。その代わりに金細工師から金の預かり証をもらいました。というのが、左の図です。

しかし、これは実は右の図でも実現できるということです。キクシェルAさんは金を金細工師の金庫に入れる代わりに預かり証をもらいました。その預かり証をキクシェルBさんに渡しました。キクシェルBさんはその預かり証でいつでも金庫から金を出すことができます。ということです。

つまり、金の移動がなくても、金が引き出せるという預かり証の移動で金銭のやりとりができるということでした。この方が、金を移動させるより安全で管理がしやすいということで、紙幣が誕生したということでした。

このところは紙幣の誕生は、なるほどなと勉強になりました。

私が思ったのは別のことで、変なんですが、結果が同じなら、金銭の移動は省略できるという原理のことです。

そこでふと思ったのが死とお金や経験の関係でした。
死というものが変わらない現象としてあるなら、お金持ちになる必要はないのではないか、ということです。
よく、「死んでから、お金は持っていけない」と聞くことがあります。
お金を稼ぐことは、死という結果に対しては、省略していいことなのではないかと。
私は輪廻転生はあると思っていますが、その際、稼いだお金は使えないのではないかと思います。
お金を稼ぐこと自体は魂の成長になんら関係のないこと。
故に、省略していいことなのではないかと思います。

それから、「徳を積む」ということも言われています。
「徳を積む」といいと言われます。
これに関しては、人として生きるときにはとても大切な要素を持っていると思います。
実際、徳を積んだ人はとても素晴らしい人なんだろうなと思います。
ですが、死という結果に対して、「徳を積むことは必要なものなのか」という問いは残ります。
輪廻転生が「魂の成長のためにある」なら死後、徳を積んでいくこともできるわけで、
現時点で「徳を積む」ことが死ぬときに省略できるものかもしれないとも思うわけです。

そして、「徳を積むこと」をひとつの救済の尺度にした場合、「徳を積まない人間は救われない」ということになってしまいます。それも、天の慈悲だと言えば、仕方ありませんが。

天が慈悲で人間を滅ぼしたとき、人間の苦悩や経験、歴史、そんなものは省略されるものなのだろうなと思います。

こんなよくわからない変なことを考えてしまいましたが、どんどん変になっているそんなキクシェルです。

このブログは省略してもらって結構です(笑)。

追伸:日々の嫌だと思うことなどは死ぬときにはまったく必要のないものですから、省略しても構わないことなのだろうなと思います。

2025/11/09 16:26:20 キクシェル

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