論語の公冶長第五ぐらいまで、自分が体験からパッと思いつくことがあればメモを取りながら、読んだり、打ったり(私の写経はパソコン入力です)、コピペしたりしながらすすめています。
その中で、公冶長第五に孔子が顔淵(顔回)と季路(子路)に志を話すようにいうシーンがあるのです。
子路は『車や馬や着物や毛皮の外套(がいとう)を友人と一緒に使って、それが痛んだとしても、気にしないようにしたいものです』といい、子路は『善い行いを自慢せず、辛いことを人に押し付けないようにしたいものです』と言いました。
子路が、(孔子)先生の御志望を聞かせてくださいというと、孔子は、「老人には安心され、友達には信用され、若者には慕われるようになりたいものだね」と言ったそうです。
この話を聞いた時、自分の志望な何かな、と思って、立ち止まって考えてみました。
そこで私はこのような答えを出しました。
『何回うまくいかなくても、簡単にあきらめずに、何度でも安心してやり直すようにしたいものだ』
これは、私の『マンダWRAP』の希望の感覚に書き加えましたが、「いつでもやり直せる」という世界がいいのではないかと思っていますので、自分の根幹にはそういう志望があるのだと思いました。
「いつでもやり直せる」「簡単にあきらめない」「しぶとく生きる」
論語的な答えではないかもしれませんが、自分の志望はそこにあるなと思いました。
気づきとしては、論語も実践の大切さを言っている部分もあるんだというのが新鮮でした。
かつて読んだときとは別の感覚があります。ここまで深く理解できなかったかつての自分。
私の人生は苦しかった経験や見聞きしたり、実践してきたことは、無駄ではなかったのだなと思いました。
もっと、東洋古典を読んでいきたいなと、たいへん興味を持っています。
2025/06/09 5:11:19 キクシェル
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