それは同僚の安井から聞いた焼き肉屋でのことだった。
安井の話では、旬のジビエが食べられるという。
調度、時間があったので、夜に、彼女とふたりでそのジビエの焼き肉店に行くことにしたのだ。
のれんを手でよけて引き戸を開けると、中年の店員がいらっしゃいと声をかけた。
比較的狭い店で、網付きのテーブルが6組分ぐらいあり、カウンターには白い髭の男性がビールと肉を食べていた。
一番奥の席に彼女と網をはさんで、向かいで座った。
壁の高いところにはメニューらしき文字が並んでいたがさっぱりわからない。
彼女に「オッコトって何?」と聞かれたが、
さっぱりわからなかったので、「何だろうね」とお茶を濁した。
若い女の店員が、おしぼりと水を持って来た。
若い女の店員の横顔が包丁の切っ先によく似ていると思った。
「すいません。ここって、ジビエの焼き肉屋ですよね」
若い女の店員はおしぼりと水をテーブルに置きながら、
「そうですよ」と笑顔で答えた。
「ご注文は?」
「この、オッコトて何の肉ですか?」
彼女が指をさすので、質問した。
「オッコトは巨大な白い猪の肉ですね」
嫌な予感がした。
最近、シシ神の森を守っている聖獣、オッコトヌシがいなくなったというニュースをSNSの記事で見たのだ。
環境破壊が原因だとニュースでは言っていたが情報弱者の庶民には真実はわからないのだ。
彼女は「美味しそう」と言い、2皿注文した。
「おい」と止めようとしたが、
彼女は「いいじゃない。今日はおごってあげるから」というので、
「そういう問題じゃない」と私が言うが、
彼女はオッコトホルモンまで注文した。
女の店員は微笑して、網の下に火をつけ、カウンターの奥に消えていった。
彼女は少し水を飲み、物珍しさもあるのか、楽しそうにメニューを見ている。
オッコトというフレーズがずっと引っかかっていて、それどころではなかった。
(オッコトヌシの肉だったらどうする。聖獣の肉だぞ)
水を一気に飲み干した。
カウンターに座っていた白髭の男が振り向いて、こちらを見ている。
「なにか?」
「お前さんら、興味本位でオッコトの肉なんて食べるんじゃない」
「どうしてですか?」
「オッコトは、なあ・・・・・・」
男がそう言いかけると、「お待たせしました」と声がして、
店員が山盛りのオッコトの肉とホルモンを持って来た。
男はこちらから目を離し、カウンターの前を見てビールジョッキに口をつけた。
彼女ははしゃいで、スマホを構えて写真を撮っている。
テーブルの上はさながらオッコト祭りとなった。
「美味しそうね!まずはホルモンからかな」
彼女は肉をどんどん熱い網の上へ載せていく。
オッコトの白いホルモンはどんどん焼けていく。
肉から肉汁が出始めている。
「ねぇ、この黒いの何?」
彼女は肉用のトングでホルモンをつまんだ。
「きゃあ!」という悲鳴と共に、ホルモンは一瞬で黒くなって2つに割れた。
「なんでこんなに黒いの?焦げすぎ?」
店員が「いえ、オッコトホルモンは焼くと黒くなりますので」と笑顔で答えた。
彼女と私は黒くなったオッコトホルモンを皿に取って、口に入れた。
彼女と私はものすごくまずい顔をして、ぺっぺっと皿に吐き出した。
「店員さん!まずいよ!」
女の店員は笑顔で、「まあ、仕方ないですね。オッコトはそんなもんです」と答えた。
「何だ、その対応は!こんな店で食えるか!行こう!」
私はすぐに立ち上がり、彼女の背中をさすり、お金を無造作にカウンターに置いた。
「もう来ないからな。安井の奴、騙しやがったな!ただじゃおかねぇ」
焼き肉屋の扉を思いっきり開いた。
カウンターの男はビールを飲み干した。
「お前さんらも祟り神になってしまったか・・・・・・。やはり、オッコトヌシ様の怒りは凄まじいのだな」
扉を閉めるときにわかに男の声がしたが、心の底には届かなかった。
2024/11/13 19:06:24 キクシェル
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