男にとっては、上司の激怒の顔が忘れられない帰り道だった。
大きな失敗をしてしまった。
行きつけの居酒屋も臨時休業の張り紙がしてあった。
今日は何という日なんだ。
毎日、あまりに忙しくて、寄り道をすることはなかったが、今日はまっすぐ帰りたくなかった。
自分の住んでいる団地を遠回りした。
すると、ツタのある白いレンガ造りの建物があった。
重そうな木の扉にはウェルカムの札がライトで照らされていた。
(こんな入りにくそうなお店があっただろうか。住んでいる団地でもまだまだ知らないことが多いものだ)
男はそんなことを思い、ギィとドアを開けた。
中はアンティークの似合いそうなウッド調で薄暗い。カーテンからは月明かりが差し込んでいる。
ショーケースには3体の15センチぐらいの人形と値札が書いてあった。
「10,000,000円!」。信じられない値段だ。
隣には「阿僧祇」と書いてあった。
男はふうとため息を吐いた。
(なんだ冗談か)
いちばん右端にあった人形は、(110円から)と書いてある。
随分、値が落ち着いている。
コツコツと床板を革靴で歩く足音が聞こえた。
「あい、いらっしゃい」店の、奥から白髪の店主が笑顔でショーケースの前までやって来た。
「この人形は売り物ですか」男は店主に聞いた。
「あい、回復のエキスパート人形といいまして、主人をサポートする人形でしてな」
「回復のエキスパート人形・・・・・しかし、これは冗談でしょう?」
「あい、この値段ですか。その10,000,000円の人形は失敗からの回復のサポートをしてくれます」
「なんですって?」
男は、今日の失敗が脳裏によみがえった。本当に10,000,000円で大失敗が帳消しになるなら、安い・・・・・・のか・・・・・・しかし、確証もない。
男は、口を真一文字にして、鼻から息を吐いた。
「あい、お気持ちはよーくわかっております。高い・・・・・・と。そんな方には、こちらの、しあわせの回復エキスパート人形をオススメしてましてな」
店主はケースを開けると、青い長い髪の制服のようなデザインの衣装を着ている、アニメ調の女の子の人形を取り出した。
「旦那様、私と一緒に、しあわせを回復しましょうね」
女の子の人形はウインクをし、口角を上げた。
「しゃべった!」
「あたしは、しあわせの回復のエキスパート。旦那様と一緒にしあわせになるんだから」
男は、「君は魔法でもかかっているのかい?」
「旦那様、家に帰って、私だけに魔法をかけてね」
「よくできた人形だね」
男は頭をかいた。
「お気に召しましたかの。彼女はあなたのしあわせを本気で考えるパートナーだと思ってくだされ」
店主は、笑顔で男を見た。
「パートナーねぇ・・・・・・人形でしょ」
「あら、私は旦那様に必要なはずよ。旦那様の幸せを本気で考えているのよ」
「・・・・・・確かに悪い気はしないな。110円なのはなんで?」
「あら、旦那様。しあわせは値がつけられないのよ」
男は値札を見た。
「だから、値がついてるじゃない。110円からって」
「あたし、本当に価値のある存在なの。だから、思っていたの。あたしには値がつけられないって。でも、あたしは10円で売られてしまったの。それを、おーじが50円で買ってくれた。今度は、しあわせになるんだよと、110円の値をつけてくれたんだよ。そして、旦那様、あなたに出会った。あたしは、旦那様と必ずしあわせになる。あたしも旦那様も価値のある存在なの。それだけはいっておきたかった」
男は、瞳を潤ませた。
「店主さん、私は、必ずしあわせになります。しあわせであることをもっと見つめます」
「ありがとう、旦那様。あたしもしあわせになる。」
女の子の人形は男と握手をした。
その後、女の子の人形は背伸びをしてかがんで泣いている男の頭をなでた。
「大切なものを得た気がします。私は、そこに価値を感じました。お受け取りください」
男は財布から10,000を出し、店主に渡した。
「あい、お買い上げありがとうごうごぜいます」
店主はニッコリ笑った。
男は肩に、女の子の人形を乗せ、ドアを開けた、目の前には満月があった。
「おれ、生きていていいんだな」
女の子の人形はニッコリ笑ったままだった。
2024/09/20 20:52:59 キクシェル
コメント