書を読みて、人に会い、人に会いて矢となすの深意

今日は、大学時代にいただいた言葉の深意にたどり着くことができました。

大学時代の環境系サークル活動でNPO法人の方にいただいた言葉あります。

『書を読みて、人に会い、人に会いて矢となす』

私は、聞いた時からこの言葉はすごいと思っていました。
まず、先人の知識を得て、それから人に会って血肉になった生きた経験や活動について知り、人脈を深め、そして、その後に行動すると。そしてまた、書を読みてに戻り、人に会い、矢となす、書を読みて・・・と繰り返される学びのサイクル。

この言葉を聞いて、指針にしたり、悟った気になっていました。

今日は、さらに理解が深まりました。

なぜ、矢という言葉が使われていたのか。それは、矢というものの性質です。
弓の弦により、エネルギーを溜めに溜め、放たれた矢は、一点定まった目標に向かってまっすぐ飛んでいく。

そういうことでした。

一点定まった目標に向かってまっすぐ行動していく必要があるということです。

それが、『矢となす』の意味だった。

そして、その目標は、書物や人に会うことによって定まったものになり、出会う人を巻き込みながら、全てのエネルギーをその一点に集中し行動する。

そういうことだったのか・・・・・・

ようやく腑に落ちました。

より、この言葉を愛することができると思いました。

そして、私の一点定まった目標というのは、『しぶとく明るく楽しく生きる場を提供する』ということだなと思います。その一点に向かって、巻き込みながら行動していこうと思います。

そして、また、書を読む私がいます。

2025/07/23 23:31:41 キクシェル

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