先日、通院して、減薬をしたい旨を伝えました。
しかし、減薬を言い出すのは危ないときじゃないかということで、断られました。
私は少しばかり憤慨したのです。
診察時に減薬を口に出すのもいけないのかと。
薬剤師に、薬の勉強の仕方を聞いてみましたが、医学をしっかり勉強するしかなく、ネットの情報はどの副作用が重要とされているのかを判断するのが難しいのではないかということでした。
また、薬は、原因のための根本治療ではなく、症状を穏やかな状態に保つためのコントロールをするものだということを教えてもらえました。
話を聞いていて思ったのは、穏やかな状態を保つ、心が安定した状態を薬によって保つことが服薬の主たる目的になっているのだなということでした。
統合失調症に関しては、原因は様々有り、わかっていないことも多いということでした。
原因がわかっていなくても、心の安定を薬によって調整することはできる、という考えで、私は服薬をしているようです。
支援者の友人には、断薬はエネルギーがいるから、好きなこともできないのではないかということを教えてもらいました。そして、苦しい道ではないか、楽な道を選んでもいいのではないか、ということも言ってもらいました。
そう考えたときに、原因がわかっていないようなものを根治できるのか、という疑問です。断薬してよくなったといっても、そもそも原因がなおったかどうかもわからないのではないか、と思ったのです。
原因はわからなくても、症状が安定しているならそれでいいのではないか。
そして、自分の人生を考えたときに、心の安定が崩れ、好きなことができないこと、したいことができないことはとてもつらいことだなと思いました。
断薬にこだわらずに、薬を飲みつつ、症状を安定させ、自分の生きたいように生きることが今の自分にはあっていることかなと思いました。
断薬に挑戦する人は、それは挑戦してもいいと思います。断薬の先に何があるのか見てみたい気はします。
ですが、断薬の大前提として、自分の心をしっかりコントロールする術はあったほうがいいと思います。コントロールを失えば、入院し、また、薬の日々が待っているからです。
私にとって、今大切なことは、症状が安定していることです。
医師も一生懸命、症状が安定するように診療して服薬調整してくれていることなのだろうなと思います。
私は、根治ではなく、症状の安定のため薬を飲もうと思います。
薬は一方で毒であり、副作用もあるかもしれませんが、十数年服薬を続けており、原因もわからないというのであれば、症状の安定のために薬を飲むことは、自分のしたいことをするためには仕方のない過程のような気がしています。
自分が断薬するとすれば、医学を学び、薬がどういう成分で構成されており、それがどういう原理でどう作用し、どのくらいの量を飲むとどうなるのか、誰が何の目的で作っているのか、ということを調べることだと思います。ですが、現状、私は頭がさほど良くないのでそういうことを学びきれないと思います。
そして、断薬は私の人生の目的ではないのです。
薬を飲みながらでも、生きていかねばならない。
それは、私が「文庫のある本づくり創作サロン」の実現という目標を持っているからです。
そう考えたときに、医師や治療者、薬剤師、支援者を信頼するということ。完全には信じることができないとしても、信頼すること。これが、私にできる最善の方法かなと思います。
そして、薬剤師の方はこう言うことを言われました。
薬を飲んで症状がずっと安定しているなら、その後の段階で減薬というのは考えられることだとおもいます、ということでした。
大切なことは、いかに穏やかな状態であり続けるか。それが、私が薬を飲む理由です。
2025/10/02 4:50:10 キクシェル
コメント