統合失調症患者が言うことを信じられますか?
統合失調症の元患者が政治家になることは可能でしょうか?
皆さんはどう思われるでしょうか。
先日、友人とそのような内容のLINEのやりとりをしたのです。
統合失調症だったという過去がある政治家の政策を受け入れることができるでしょうか。
統合失調症だったという過去がある言論人や歴史家のことばを受け入れることができるでしょうか。
奇抜な政策を思いつき、公約に掲げても全ては妄想だ、病院で休んだ方がいいよ。と片づけられるのではないかと思います。
言論の正当性が失われるのがこの統合失調症とカテゴライズされる我々精神疾患患者の苦しみです。
そこに確固たる事実が無ければ、我々は信じてもらえません。
統合失調症であるということで、主張の正当性が、妄想があるという要素で大きくそこなわれているのです。
どんなに正論を掲げても、妄想あるんだろ、と言われればそれまで。正論を補強しようと色々な事実を持ってきても、統合失調症だった事実を挙げられ、妄想だろ、の一言で終了。
そういう意味で、統合失調症の人は政治家や言論人や歴史家には向いていないというか、分が悪いなと思います。
今日は、「人はただ身の程を知れ草の葉の露も重きは落つるものかな」という言葉を知りました。
「人はただ身の程を知れ草の葉の露も重きは落つるものかな」は、徳川家康の教えに由来する言葉で、自分の立場を理解し、謙虚であることの重要性を示しています。草の葉にたまった露が重くなりすぎると落ちるように、人生においても自分の限界を知り、無理をしないことが大切であるという教訓です。
統合失調症患者としてできることはなにか。
統合失調症を卒業すること。もしくは、統合失調症とつき合いながらしぶとく生きること。再入院しないように生きること。
また、その中で、できるだろうなというのは、しぶとく生きるための知恵を共有し、学び合うこと。
大きなことは言わず、負荷をかけず、無理せず、無視せず、しぶとく生きていこうと思います。
2025/06/13 21:26:00 キクシェル
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