自己責任について思うこと

自己責任というのは、やっぱり私はおかしいのではないかと思う。

個人に責任を押しつけると、施政者や企業や支配する側は楽だからである。

さも、自分たちには責任がないように振舞うことができる。

2020年にある人に言われたのですが、自己責任の概念は、まだ社会が成熟していないのではないかということを言っていました。

自己責任だと言われてきて、そうだな自己責任だなと思ってきたけれども、考え方が変わってきたのが数年前からである。

とある人が、人のせいにするなと言ってきたのだが、その人は私のせいだと言って物事をすすめているのである。

その人のことは、非常に自分勝手だなと思う。自己責任論を振りかざすわりに自分では責任をとらない。そういうことである。

つまり、自分では受け入れられない自己責任論を攻撃するツールとして使っているのである。

またある時、低賃金の職場で働いたことがあるが、職場の賃金を決めるのは社長であり、雇用される側としてはそのあたりの権限はない。
低賃金の責任は社長や会社、企業にある。
人件費を削っているだけで、自分の報酬や内部留保にしている。
それが全て悪いこととは思わないが、社員の生活がままならない場合は助けないのだろうか。
そこもたいていの場合、自己責任論で片づけられる。

低賃金で働くことに関して自己責任でやめればいいのではないかというが、就職氷河期だった場合どうであろうか。
そして、スキルをつけることもできない職を転々として、十分な収入を得る職に中途採用でとってもらえるのだろうか。

そして、豊かな生活をあきらめなければならないのだろうか。

それをはたして、自己責任だけで済まして良いものなのだろうか。

私がこうなったことを自己責任というなら、私は金輪際、誰も助けたりはしない。

だって、自己責任なんだろ?

自分を責めるように仕立て上げたこの歪んだ思想に毒されていました。

そんな酷い世界にしたのは自己責任論がはびこったせいもあるでしょう。

ある人はそれはアメリカ流の新自由主義的な考え方が日本に流れ込んできたとき、また、非正規雇用が拡大したときに自己責任論が巻き起こったといいます。

学校では助け合いを教えられた気もしますが、自己責任論とは相容れない気がします。

全責任を個人に押しつけることを正当化するなら、私も全責任を世界に押しつけてもいいことになります。

ですが、それは世界が閉ざされるので別の方法を模索したいと思います。

自分のせいじゃないし、あなたのせいでもない。

誰のせいでもない。

私は誰かの単独のせいでそれが起きたとは認めない。

ただ、そういうことが複合的な事象によって起きたというだけである。

できることはわずかなことしかない。

最近はよくそう思う。

2025/03/30 10:48:24 キクシェル

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