怒ってしまったこと

観音参りなどして、夕刻まではよかったのですが、ひきこもりについての本読みながら、ふつふつと自分の過去のことを思いだしたりして、父との関係が少しイライラしてくるタイミングがありました。

会話が少ないことを話題に出すと、過干渉したくないという返事でした。

そのことは、逆に私は無関心に感じるという旨を伝えました。

対話と干渉は違うのだということを伝えた後、この人は本当に私に関心を持っているのかと疑問を持ちました。

そこで、自分の障害名について聞いたところ、分からないという返事でした。

それに対して激昂して、怒鳴ってしまったのです。

父は何に怒っているか分からないということだったので説明しましたが、腑に落ちていない感じでした。

私には、最初の発症の際、説明なく精神科に連れて行かれたという感情的しこりがあるのですが、そこからの人生があまりにも難しくしんどい歴史だったために、この件さえなければと思っているのです。

そこで、みなさんにも少し意見をもらえれば嬉しいのですが、親になったとき、子どもの障害の名前を忘れるでしょうか?

分からないなんて答えが出るでしょうか?

それも、自分が連れて行った病院なのに。

診断名はその時につかなかったのですが、その後、私は20年ぐらい苦しんだわけです。

知るチャンスはあったわけです。

父は私のことを発達障害だといっていました。

そんな診断は受けていないのですが・・・・・・。

非常に残念というか、父は、私に無関心だったんだなとあらためて思います。

気分が悪いので、実家から即刻待避しました。

かつて、病院から退院したときも、病状のことを何も聞かず、しゃべらなかったのも障害名も分からず、関心がなかったのだろうなと思います。

少なくとも私はそう受け取っています。

育ててくれた恩もありますが、父は無関心だったという印象です。

本当のところはどうかは分かりませんが、少なくとも無関心に感じてきた歴史があるということです。

話は変わりますが、ソルシオアカデミーのために検討していたCanvaが結構使い勝手が良さそうなので、今後は、Canvaで色々な作業をしていこうと思っています。

手始めに、マインドマップを描いてみました。

今日は少し、感情の荒れた日でしたが、持ちなおしたようです。

距離をとることは自分にとっては大事な方法の一つだなと思います。

2025/05/03 20:32:22 キクシェル

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