自助会や本づくりの取り組みの一環として、再度過去を掘り起こしています。
といっても、症状悪化するほどの取り組みではありませんので安心してください。
絶望の記録に触れたときは、苦しかったときのことを思いだすよりも、乗り越えれるから安心しろと声をかけたくなりました。
結末が分かっているから、苦しんでいるなら早く教えてあげたいと思いました。
低収入の会社に勤めていたときの十六方位塞がりの絶望時の肉声とか残っていて、死にそうでヤバいなと思いましたが、笑ってしまいました。そんなに苦しいなら辞めればいい、という簡単な答えです。実際は、症状が悪化して、賃金も上がらず生活ができない、ということで辞めて乗り越えました。
両親の友人の会社じゃなければもっと簡単だったのですが、その時は、いろいろと考えすぎて誓約を自分で作って動けなかったことを思いだします。
石の上にも三年という言葉がありますが、石の上に三年もいたら変人です。尻が冷えて風邪ひくし。
そういう、変な常識という名のええ加減な教訓の言葉に翻弄されていました。
おかげで、苦しいことを我慢して頑張って続けていたら、症状は悪化し、再発。
このパターンがあるので、苦しいことは頑張らない。楽しいことなら症状出ずに頑張れる。という単純明快な答えを得ています。
苦しいなら追い込まないことです。楽しいなら続くものです。
続けばモノになってくるのではないかと思いながら過ごしています。
高橋歩さんの本に『大人がマジで遊べば仕事になる』という言葉がありまして、それは正しいのか検証しているところでもあります。
とにかく、これ違うな、これ嫌だな、と直感が思うことはさっさと進路変更してしまうことがいいかもしれないな、と思います。
絶望の時期は何度もありましたので、それから得られる教訓を、金の鉱脈を辿るように掘り進んでいきたいと思います。
2025/5/6 9:26:10 キクシェル
コメント