ずんどこカフェ前夜

ずんどこカフェのお題として出るかもしれないこと、『仕事への向き合い方』について私見を述べておこうと思います。

仕事は歯を食いしばってやるものだと思っていた時期がありました。
それは牛乳配達の頃の話ですが、続きませんでした。

それは、歯を食いしばってやっても、低収入や休憩が少ないとどうしても続けることができない。

では、歯を食いしばらなかったらどうなるか。
今度は、すぐにやめてしまう。あきらめてしまう。そういうことになります。これも続かない。

仕事の向き合う取り組み方としては、メリハリというか緩急というか、気を抜きすぎず、力を入れすぎずという状態がベストだろうと思います。これは、場数を踏んで自分が壊れない加減を学んでいくより他ないなというところです。
自分は壊れてしまうまでやってしまうタイプなので、何度も壊れてきているので、みなさんには壊れる手前で、休憩するなり、辞めるなり、選択をした方がいいと思います。

後は、他人と比較しないことだろうなと思います。特に、自分はこれだけやっているのに、あの人はこれだけしかやっていないという感覚が昔ありましたが、それぞれに能力や事情や心情があります。
人の評価と言うより、自分が昨日より成長できたらそれでいいのではないかと思います。

私が接してきた多くの仕事では成果を求められますが、成果を求められる割に対価は少ないです。そこに愚痴を言わずに腐らずにいじけずにいれるなら素晴らしい人格をもっていると私はほめたいと思います。
私は、どうしても対価を考えてしまうところがありますので、やる気を失っていましたが、そのあたりは、制度や上層部の判断が底辺に対して厳しすぎるのだろうということだろうと思います。
低収入がどうしても我慢できないのであれば、進退も考えてもいいと思います。社会は広いはずです。

仕事への向き合い方としては、目的をもっておくことだろうと思います。
参考になるのは、イソップ寓話のレンガ職人の話です。

3人のレンガ職人がいて、文句ばかりを言ってレンガを積んでいる人、家族を養うためと言ってレンガを積んでいる人、大聖堂を建てるんだと言ってレンガを積んでいる人。

3年後どうなったか。

文句ばかりを言っているレンガ職人は相変わらず文句を言っており、家族を養うためレンガを積んだレンガ職人は家族を養う報酬が得られ、大聖堂を建てると言ったレンガ職人は現場監督になり、大聖堂を建てた。
という話です。

私の解釈では、目的が大事だということだということでした。

私はお金を貯めて自立するという目的があり、次第にお金を貯めることが仕事の第一の目的になっていました。
そこで得た貯蓄の式が、『収入>支出』であるとき、『貯蓄できる』ということです。
これは高収入であろうが、低収入であろうが成り立ちます。
貯まらない方の問題は低収入か、支出が大きいことだろうと思いますが、いずれかが解消されると、いくぶん貯蓄できるということです。
どちらも大きければ、人生がすごく充実しているといえるなと思います。
収入も不意に入ってくる収入もありますし、不意に出ていく支出もあります。
これからは、貯めるだけではなく、有効に使うということをしたいと思います。

今からは、自分をよく修めないといけないなと思っています。大学には、万事万物についての知識を充実して、真理に致り、意を誠にして、心を正しくして、身を修めて、家を斉えて、国を治めるとあります。万事万物について直接体験的に探求することが大切だということですので、結局、行動からかなといったことかなと思います。
まだ、読みかけの書物ですが、再発見としては、直接体験的に探求することから始まっているということでした。

私は、生きづらさをかかえた人のため(自分を含む)に自助会や読書会や学習会や本づくりを通して、生きづらさがあってもしぶとく自由に生きることができるような場を作れればいいなと思っています。
お金をかけないならオンラインでもいいですが、人とのつながりを重視するなら、やはり場を買うか借りるかということになるだろうなと思います。

18日はソルアカで、実質的に船出の1日目となります。
単純に参加者に出会えることがうれしいなと思います。

出会う人たちを大切にしたいと思います。

2025/07/18 0:20:20 キクシェル

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