『灰の翼と嘘つきの庭』(短編)

 王国の東端にあるヴァレニアの谷――霧と花に包まれたその地では、古くから「真実の羽根」の伝説が語られてきた。

 それは、幼き者が心から大切にしたものが、たった一度でも深く傷つけられたとき、灰色の羽根に変わって消えるという言い伝えだった。

 羽根は言葉を持たない。ただ、真実がゆがめられたとき、静かに風に舞い、誰の手にも戻ることはない。

 ある秋の日。谷の村で少年キアンが一輪の細工花を手にして、小高い丘の上に立っていた。

 それは、姉が作ってくれた唯一の形見だった。白い綿花と銀糸でつくられたその細工花は、まるで生きたように繊細で、空気をはらんで輝いていた。

 キアンは、それを空にかざしていた。どこからか吹く風に、花びらが小さく揺れる。

 そのとき、声がした。

「それ、きれいだな」

 草むらの向こうから現れたのは、同じ村に住む少年アレンだった。淡い髪に土まみれの服。手には錆びた木の笛を握っている。

「姉が作ったんだ。誰にも渡さない」

「取らないよ。そんな怒んなくたってさ」

 だが、その直後だった。強い風が丘を抜け、キアンの手から細工花がふわりと飛び、石ころだらけの地面に落ちた。

「――!」

 キアンが駆け寄るより先に、アレンがそれを拾い上げた。

「ちょっと、見せてくれって言ってないのに!」

「違う、落ちたのを拾っただけだって!」

 ふたりの声がぶつかりあったとき、下の道から少女がやってきた。村長の孫娘で、名をレーネといった。

 白いリボンに、金色の靴。少し年上の彼女は、冷たい目でふたりを見た。

「どうしたの?」

 アレンが弁解しようとするより先に、キアンが叫んだ。

「こいつが、ぼくの花を取った!」

 アレンが抗議しようとしたその瞬間、レーネが口を挟んだ。

「私、見てた。先にアレンが持ってたのを、キアンが勝手に落としたんじゃない?」

「そんなわけない! 姉の花だって言ったろ!」

「でも、証拠あるの?」

 レーネは、あどけない笑顔を浮かべていた。

 アレンは口を開こうとしたが、言葉を失った。レーネの言葉に逆らえば、彼女の家族が黙っていない。村の誰もが、彼女の証言を信じるだろう。

「――いいよ、もう。いらない」

 アレンは木の笛を草むらに捨てると、手にしていた細工花を地面に落とし、去っていった。

 キアンはそれを拾い上げた。

 けれど、そのときだった。手のひらの中で、花びらがふっと軽くなる。

 銀糸が、綿の芯が、羽根のように舞いながら、ひとつ、またひとつと風にさらわれていく。

 最後に、細工花は淡い灰の羽根に変わった。

 その羽根は、キアンの手の中で一度だけ揺れ、そして空へと飛び立った。

 もう、二度と戻らなかった。

* * *

 それから十年が過ぎた。

 キアンは旅の魔道士として各地を巡っていた。けれど、あの日失った花のことを、ふとした瞬間に思い出すことがあった。

 アレンは村を去ったと聞いた。レーネは都で結婚したらしい。

 そんなある日、キアンは古都トリアで、ある店に立ち寄った。

 そこは「灰の庭」と呼ばれる、失われた魔具や古代の記憶を保管する店だった。

 店の奥、ガラスの棚の中。そこに、あの日の細工花があった。

 ――いや、違った。

 それは、あの細工花とそっくりだったが、羽根の一部が灰になりかけていた。奇妙な状態だった。

「……これは?」

 キアンが店主に尋ねると、店主は不思議そうに言った。

「それは、“嘘つきの記憶”に触れた品です。本当は違う持ち主がいたのに、偽の言葉で手放された。だから完全に灰にならず、宙ぶらりんになっているのです」

 キアンは息をのんだ。

 自分が失ったと思っていたもの。それは、アレンの手から失われたものだった。

 ――あの日、本当に失ったのは、自分の花ではなかった。

 キアンは震える声で言った。

「返したいんです。これを、彼に……アレンに」

 店主は首を振った。

「本人の“許し”がなければ、持ち出すことも、渡すこともできません」

「彼は……どこに?」

「その答えは、あなた自身が探さなければなりません」

* * *

 キアンは村に戻り、アレンの足跡を追った。山を越え、鉱山町を通り、ついに辺境の港町でひとりの男を見つけた。

 それは、かつての少年アレンだった。

 大工として生きる彼は、キアンに気づくと一瞬だけ警戒した。

「……何の用だ?」

 キアンは黙って、頭を下げた。

「謝りたかった。あのとき、あれは……ぼくのじゃなかった」

「知ってるさ。最初から。でも、レーネの言葉を誰も疑わなかった。あのとき、何かが心で崩れたんだ」

 ふたりの間に、風が吹いた。あの丘の風と、よく似た風だった。

「もし……もう一度だけ、信じてもらえるなら。あれを、君に返したい。君の細工花を」

 アレンは微かに目を見開いた。

 そして、ゆっくりとうなずいた。

* * *

 数日後、トリアの「灰の庭」で。

 ふたりが訪れると、店主は奥の棚から、灰になりかけた細工花を取り出した。

 アレンが手を伸ばすと、灰の部分がゆっくりと色を戻し、まるで時間を逆に巻くように、花は元の姿へと戻った。

 白い綿、銀糸の縁、花びらのかたち。

 すべてが、記憶の中のままだった。

 それを見たキアンの目に、涙が浮かんだ。

「……ごめん。ほんとうに、大切なものを奪ってしまった」

「もういい。今、戻ってきた。それで十分だ」

 アレンはそう言って、静かに花を胸にしまった。

* * *

 村ではもう、「真実の羽根」の話をする者はいない。

 けれど、風に舞う羽根を見て、何かを思い出す人もいる。

 言葉は時に、真実を閉ざす。

 偽りの証言は、大切なものを灰に変えてしまう。

 だが、時を経て、それが戻ることもある。

 それは、真実を語ろうとする者が現れたときだけだ。

【教訓】
小さな嘘でも、それが他人の「大切なもの」を奪うことがある。
特に、「見た」と語る言葉は、人を信じさせ、誰かを傷つけてしまう。

けれど、勇気を出して真実を語るとき、
失われたものが、形を変えて戻ってくることもある。

言葉は、奪うことも癒すこともできる。
だからこそ、嘘よりも真実を選ぶ力が、未来を救う。

作 キクシェル×ChatGPT

皆さまがあたたかく優しく明るい光で包まれますようお祈りいたします。

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