進路選択(高校生向け短編)

短編

君の志に、君の手で火を灯せ

春、まだ制服の袖に違和感を感じる季節。高校1年の終業式が終わった帰り道、田中蒼(たなか・あおい)は校門の前で空を見上げていた。

「もうすぐ、進路希望調査だって」

隣で声をかけたのは、同じクラスの白石紗羽(しらいし・さわ)だった。理系科目が好きな彼女とは、1年を通して理科室でよく一緒になった。

「俺、生物好きなんだよね。ミトコンドリアとか、細胞のしくみとか、面白いじゃん?」

紗羽は笑ってうなずいた。「わかる。でも、先生が言ってたよ。生物系って就職難しいらしいって」

その言葉に、蒼の胸が少しだけざわめいた。


4月、新学年のクラス分けとともに、進路調査票が配られた。

「理系に進むって決めた人は、この中で物理か化学、生物の選択をしなさい」

そうホームルームで話したのは、進路指導主任の柏木先生。白髪まじりの声が静かに教室を包む。

「就職を考えるなら物理か化学だ。生物選択は…正直、潰しが利かない。推薦も取りづらい」

蒼はその言葉を聞いたとき、何か大事なものを押し潰されたような気がした。

家に帰っても、父親は「理系なら技術職。物理がいいだろ」と言い、母親も「生物って看護とか?でも男子は大変よ」と言った。

結局、蒼は物理を選んだ。

「好きなことより、安定した道を選んだ方が、いいに決まってる」

何度も自分に言い聞かせた。


高校2年の夏。

蒼は物理の授業に身が入らなかった。波の干渉や電磁気にどこか冷めた目でノートを取り、教科書を閉じた。

隣の席の紗羽は、生物選択を貫いていた。授業後に「DNAの合成について面白い記事があってね」と話しかけてくれる。けれど、蒼はうまく返せなかった。

「ああ、俺、物理だから…」

すると紗羽は一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに「そっか、そうだよね」と笑った。

それが痛かった。


高校3年の冬。

大学入試が近づく中、蒼は自分が何のために勉強しているのかわからなくなっていた。合格しても、その先の道が見えない。

ある日、職員室で柏木先生に相談した。

「やっぱり、生物に進みたかったんです」

先生はため息をついた。

「今から変えるのは現実的じゃないな。もうすぐ共通テストだ。路線変更は危険すぎる」

蒼はうなずいた。だが、胸の奥で何かが音を立てて崩れていった。


大学1年。

推薦で入った理工学部の講義室。回路設計、力学、プログラミング。どれも心が動かなかった。

一方、紗羽は地方の国立大学で生物学を学んでいた。SNSに載せられた、研究室での顕微鏡写真や、フィールドワークの写真。

「…楽しそうだな」

それを見て、蒼は無性に泣きたくなった。


大学3年の秋。

周囲は就職活動で騒がしくなる中、蒼は何も動き出せないままいた。エントリーシートに「志望動機」を書こうとしても、手が止まる。

「自分が何をしたいかなんて…最初から考えるのをやめていたから」

そんなある日、偶然、大学近くの駅前で紗羽と再会した。

「えっ、蒼くん? びっくり! 久しぶり!」

彼女は変わらぬ笑顔で手を振ってきた。カフェに入り、近況を話した。

「私、今は植物生態の研究室にいるの。珍しいコケの研究をしてるの」

「…いいな」

思わず言葉がこぼれた。

紗羽は少しだけ真顔になって、カップを見つめながら言った。

「蒼くん、昔、生物の話してたよね。目をキラキラさせてた。今、そういう目、してないよ」

その一言が胸を打った。


その夜、蒼は初めて、ノートを開いて、自分の志望を一から書いてみた。

「もう、手遅れかもしれない。でも――」

彼は大学のキャリアセンターに行き、教員免許取得の相談をした。そして、生物教師の道へと方向転換を決意した。

4年生の春から、履修を調整し、学び直し、卒業を半年遅らせることを選んだ。


大学卒業式。

晴れやかな空の下で、蒼は紗羽に会った。

「おめでとう。進路、決まったんだって?」

「うん、生物の教員になる。中学か高校で、あの頃の俺みたいなやつに…生物って面白いんだって、ちゃんと伝えたい」

紗羽は笑って言った。

「…ようやく、昔の目に戻ったね」

蒼は照れながらもうなずいた。


人生は、何度でも進路を描き直せる。

だが、その最初の舵は、他人に渡してはいけない。

君の志は、君の手で灯さなければ、誰もその先に光を灯せないのだから。


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この話は、高校の時の進路選択の失敗を引きずっていた、かつての私の失敗経験がテイストとして含まれています。
進路選択自体は間違いじゃない。間違ったと思ったなら素直に修正できる勇気と素直さがあればいいのだと、今では思っています。
高校生の皆さま方には素晴らしい人生を歩んで欲しいと思っております。

2025/08/02 23:48:48 キクシェル

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