『安心してしぶとく生きる』というのは、私の今のテーマです。
少し前までは『しぶとく生きる』でしたが、『安心して』というのが入りました。
なぜ『安心してしぶとく生きる』のか・・・・・・
現世なのか来世なのかわかりませんが、神仏と縁があれば、救われるということ。
それが、現世的な救われ方かどうかについてはわかりませんが、
神仏に救われると信じることで、
『安心して』、
慈悲、慈愛、を持って活動できるということです。
それには、しぶとく生きることは大切となります。
なぜ私は神仏の救いを信じるに到ったかといえば、
神社や仏閣に参拝する中で、
神仏と縁ができ、
なんとなく神仏はありがたいのだと思って生きていました。
友人が親鸞を紹介してくれて、
阿弥陀如来の誓願について興味が出て、
その後、自分でも経典(法華経)の日本語訳を読んだとき、
ああ、そういうことだったかと腑に落ちました。
そういうことなら、慈悲、慈愛の活動でいいんだと。
経典には名誉ある職に就くことや、
莫大なお金を稼ぐことなんて一切書いていませんでした。
まして、私がこだわってきた夢などということも書いていません。
夢などというのは時代が生み出した虚妄の妄言だったということでしょう。
ただ、死ぬようにとは書いていなかったので、
生きなければなりません。
生きるということは、それだけの糧はいるということ。
そうしたときに、糧を得られる仕事というのが必要だということです。
家に住み、ご飯を食べるために仕事をする。
それでいいのだと思いました。
ただ、精神障がい者になって思うのは、
健常者の働き方ができないというところです。
ならば、精神障がい者としての働き方とは何なのか。
それは、健常者にあわせることではないのではないかと思います。
私の場合、小さく夢は叶っていたので、
もう思い残すこともないのですが、
安心してしぶとく生きたいと思います。
欲は神様が付けてくれたから、それに従えばいいのだという話を聞いたことがあります。
ですが、その欲を知り、見極めることが大事であり、
欲を肥大化させることは単なる成功者の自己正当化に過ぎないと考えます。
神様には大欲しかないことを考えると、
人間の小我の欲は明らかに悪魔がつけたものだろうなと思います。
自己啓発本などで成功者のいうことに散々だまされてきていましたが、
自己啓発本は欲の産物ということになるでしょう。
私はこれまでのブログを見てもわかるとおり、
愚かな自分ということをわかっていますから、
愚かな凡夫のいう話だと思って読み流してもらえれば幸いです。
皆さんはどう生きていくのでしょうか。
気になるところです。
2026/10/15 15:23:51 キクシェル

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