※注
『しぶとく生きる易経』はしぶとく生きる戦略の参考書です。
易経を参考にしていますが、必ずしも、易経の正解を出すものではありませんし、正確な易の情報を載せていないことを先に述べておきます。
そして、しぶとく生きる参考書ですので、今後の人生を重ねる上で解釈が変わることはあるかもしれません。
皆さんも人生を考察する参考程度にはなるかなと思っています。
坤卦
しぶとく生きる易経での坤卦:「受け止め、養い、絶やさず続ける力」
乾卦では、自分の天を探し、自分の天を生きるという「前へ進む力」が中心でした。
一方、坤卦では、自分の命を守り育てる力が中心になります。
しぶとく生きる人生においては、乾よりもむしろ坤の智慧が必要な場面も多いかもしれません。
しぶとく生きる人生においては、
- 無理に一番にならない
- 助けを受ける
- 小さな兆候を見る
- 休む勇気を持つ
- 中庸を守る
- 自分を壊さない
ことが、しぶとく生きる智慧になります。
乾は、龍が天を目指す物語
坤は、大地が龍を育てる物語
つまり人生には、飛ぶ時期(乾)も必要ですが、飛ぶために大地で養う時期(坤)も必要です。
さっそく見ていきましょう。
初爻:「自分の小さな変化を見逃さない力」
初六:履霜、堅冰至。
意味は、
霜を踏むような小さな変化が現れたなら、その先には厚い氷が来ることを知るべきである。
重要なのは、堅氷になる前に霜の段階で気づけという智慧です。
つまり初爻は、「崩壊する爻」ではなく、崩壊を防ぐための最初の気づきです。
例えば、
- 睡眠時間が乱れてきた
- 疲れが抜けない
- 人に会うことが急に苦痛になる
- 考えが止まらなくなる
- 焦りが強くなる
- いつもより活動したくなる
- 食事がおろそかになる
こうしたものは「まだ倒れていない」状態です。
しかし、「まだ大丈夫」と無視すると、やがて堅氷になる。
坤は大地です。
大地は冬が来ることを知っています。だから春に備えます。
初爻で大事なことは、自分の状態を正確に知ることです。
しぶとく生きる易経 坤 初六:「小さな変化に気づく力」
崩壊は突然起こるように見える。
しかし、多くの場合、その前には小さな兆候がある。
霜はまだ氷ではない。
しかし、霜を見れば冬の訪れを知ることができる。
眠れない日が続く。
疲れが抜けない。
焦りが出る。
頑張りすぎる。
人との関わりが苦しくなる。
それらは、自分を責める理由ではない。
自分を守るための大切なサインである。
早く気づけば、早く整えることができる。
休むこと。
相談すること。
環境を調整すること。
それは後退ではなく、未来の自分を守る行動である。
霜の段階で気づく者は、堅氷を避けることができる。
二爻:「自分の土台を整える力」
坤為地の二爻は、
直方大。不習无不利。
直く、方にして、大なり。習わずして利あらざるなし。
意味は様々な解釈がありますが、大まかには、
- 直……まっすぐである、素直である
- 方……形が整っている、正しい方向性を持つ
- 大……広がり、受け入れる力がある
- 不習……作為的に学び込まなくても自然にできる
という意味だそうです。
初六が、小さな異変に気づく力だとすると、二爻はその次です。
つまり、「崩れないように気づいた後、どういう生活を作るか」になります。
だから二爻は、「自分の土台を整える力」ともいえます。
直 ― 自分に正直になる
単なる「素直に人の言うことを聞く」ではないと思います。
むしろ、自分の状態を正しく見る ことです。坤の「直」は、自分を偽らないことです。
方 ― 自分に合った形を作る
生活で言えば、
- 生活リズム
- 服薬管理
- 通院
- 支援との関係
- 仕事量
- 人間関係
など、自分を支える形を作ること。
これは乾のように、「自分の力で突破する」ではありません。
坤なので、自分が安定して存在できる土壌を作ることです。
大 ― 受け止める力
大地のように広く受け止める。
つまり、
- 自分の弱さを受け入れる
- 過去の失敗を受け入れる
- 支援を受け入れる
- 人との違いを受け入れる
という力です。
不習无不利
正しい土台ができれば、自然な行動として良い方向へ進む
毎日無理して努力しなくても、
- 自分に合う生活リズム
- 適切な支援
- 安心できる環境
が整えば、人は自然に回復方向へ向かいやすい。
しぶとく生きる易経 坤 六二 直方大 「自分に合った土台を作る力」
精神障害者がしぶとく生きるためには、まず自分を正しく知ることが大切である。
無理をして人と同じ速度で進もうとするのではなく、自分の状態、自分の限界、自分に必要な支えを認める。
生活リズムを整える。
支援を受ける。
安心できる環境を作る。
それは弱さではない。
大地がすべてを受け止め、命を育てるように、自分自身を支える土台を作ることである。
「直」とは、自分をごまかさないこと。
「方」とは、自分に合った形を整えること。
「大」とは、自分も他者も受け入れる広さを持つことである。
無理に強くならなくてもよい。
自分に合った土台が整えば、人は自然な力を取り戻していく。
三爻:「内なる力を育て、役割を担う力」
六三:含章可貞。或従王事。无成有終。
才能や徳を内に含み、自分の道を守る。
そして、社会的な役割を担う。
成果を自分のものにしないが、最後まで成し遂げる。
- 自助会で誰かの話を聞く
- 経験を語る
- 仲間を支える
- 小さな役割を持つ
- 仕事や活動で裏方をする
などです。
必ずしも、「中心人物になる」必要はありません。
むしろ、
- 場を整える
- 人を支える
- 継続を助ける
という働きが坤三爻的です。
ここには注意点もあります。
坤三爻は、「自分を犠牲にして人に尽くせ」ではありません。
なぜなら二爻で、自分の土台を作ったからです。
土台がないまま支えると、
- 無理をする
- 相手を背負いすぎる
- 疲弊する
ことになります。それは坤ではなく、上六の「龍戦于野」に近づいてしまいます。
しぶとく生きる易経 坤 六三 含章可貞「内なる力を役立てる力」
自分自身の土台ができた後、人は少しずつ自分の力を社会に向けていく。
しかし、すぐに認められようとする必要はない。
自分の才能や経験は、まず内に蓄える。
時が来れば、その力は誰かの役に立つ。
人生の苦難を経験した人には、苦しんだ経験から生まれる理解や優しさがある。
それはすぐに成果として見えなくてもよい。
誰かの話を聞くこと。
安心できる場を作ること。
小さな役割を続けること。
それも立派な社会参加である。
大きな成果を求めなくてもよい。
自分が主役にならなくてもよい。
誰かを支え、物事を最後まで続けること。
四爻:「自分を守るために閉じる力」
六四:括囊。无咎无誉。
直訳すると、
袋の口をしっかり閉じる。過ちはないが、誉められることもない。
三爻では、含章可貞でした。
つまり、「自分の力を内に蓄え、必要な時に役立てる」でした。
では四爻では、その力をさらに外へ出すのでしょうか。
実は逆です。一度、閉じるのです。
なぜなら、人は役割を持ち始めると、次の危険があります。
- 期待される
- 頼られる
- 頑張ろうとする
- 自分を証明したくなる
ここで無理をすると、坤の徳から離れます。
だから四爻は、
力があっても、すべてを外へ出さない
という教えになります。
- 調子が悪い時は発言や活動を減らす
- 人付き合いを調整する
- 仕事量を減らす
- 休息を優先する
- 刺激を減らす
ということです。社会では、
「もっと発信しよう」
「もっと挑戦しよう」
「もっと成長しよう」
と言われることがあります。
しかし坤四爻は、今は袋の口を閉じる時といって静かにしておくこともあるということです。
ただし、「閉じる」は、
引きこもり続けること
ではありません。
袋を閉じるのは、中身を守るためです。
空っぽの袋なら閉じる必要はありません。
つまり四爻は、
中に大切なものがあるから守る
という意味があります。
しぶとく生きる人生に置き換えるなら、
- せっかく作った生活リズム
- 回復した体調
- 身につけた経験
- 大切な人間関係
を守る時期です。
坤三爻の「含章可貞」は、力を持っていることを示します。しかし坤は乾のように「もっと上へ」という方向ではなく、持続できる形で役割を果たすことを重視します。
だから四爻の「括囊」は、
「才能がないから閉じる」ではなく、「大切なものを守るために閉じる」です。
しぶとく生きる易経 坤 六四 括囊无咎「守るために閉じる力」
人はいつでも前へ進む必要はない。
自分を整え、役割を持ち始めた後にも、守る時期がある。
調子が良い時ほど、人はもっとできると思う。
もっと役に立ちたい。
もっと認められたい。
もっと進みたい。
しかし、続けて生きるためには、時には袋の口を閉じる智慧が必要である。
発言を減らす。
活動を減らす。
人との距離を調整する。
休む。
それは後退ではない。
自分の命を守るための選択である。
誉められなくてもよい。
目立たなくてもよい。
壊れずに続けること自体が、大きな価値である。
五爻:「自分の場所で花開く力」
六五:黄裳、元吉。
直訳すると、黄色い裳(もすそ)は、大いなる吉である。
原文の意味
原文の意味
「黄」:黄色は中国思想では、
- 中央
- 中正
- 調和
- 土の象徴
坤は「地」ですから、黄色は非常に坤に合います。
極端に走らず、中心を守る色です。
「裳(しょう)」
裳は下半身につける衣服です。
上着ではなく、下の衣です。
つまり、「目立つ場所に出る」のではなく、
「基礎を支える場所にいる」という象徴があります。
「元吉」
大きな吉。
ただし、それは乾の五爻のような「飛龍在天」とは違います。
乾五爻は、力を発揮して中心になるという姿。
坤五爻は、中心にいても、前面に出過ぎないという姿です。
しぶとく生きる人生の場合で考えると、五爻は、
「社会的に一番高い位置へ行く」
という意味ではありません。
自分の位置で自然に力を発揮する
ことになります。
- 一般就労で安定して働く
- 障害者雇用で力を発揮する
- B型で仲間を支える
- 自助会で安心できる場を作る
- 家族との関係を大切にする
どれも、その人の「黄裳」になり得ます。
大切なのは、
「世間から見て高い場所」
ではなく、
「自分が本来いるべき場所」
です。
しぶとく生きる易経 坤 六五 黄裳元吉「自分の場所で花開く力」
人は必ずしも高い場所へ行くことで価値を得るのではない。
大切なのは、自分に合った場所で、自分らしい役割を果たすことである。
黄色は中央を表す。
極端に頑張りすぎず、諦めすぎず、ちょうどよい位置を保つ。
裳は下にある衣である。
目立つことより、足元を支えることを大切にする。
苦労困難を経験した人も、それぞれの場所で力を発揮できる。
無理に健常者と同じ道を歩く必要はない。
自分に合った環境で、自分にできる役割を続ける。
それが長く生きる力になる。
大きな成功ではなく、穏やかな継続。
それが坤の大いなる吉である。
上爻:「自分を失うほど合わせない力」
上六:龍戰于野。其血玄黃。
直訳すると、龍が野で戦う。その血は黒と黄色に流れる。
原文の意味
坤卦の最後に「龍」が出てきます。
龍は本来、乾の象徴です。
坤は地、大地、陰の力です。
ところが上六では、陰の力が極まりすぎて、乾の龍と争う状態になります。
つまり、
本来は補い合うべき乾と坤が、対立してしまう
という象徴です。
易経では、陰陽はどちらか一方が勝ち続けるものではありません。
乾ばかり強くなれば、
- 強引になる
- 限界を超える
- 傲慢になる
危険があります。
逆に坤ばかりが強くなれば、
- 自分を抑えすぎる
- 相手に合わせすぎる
- 本来の力を失う
危険があります。 上六は、陰が極まり、ついには陽と争う状態です。
ここまでの流れを振り返ると、
初爻:崩れる前に気づく
二爻:自分を支える土台を作る
三爻:力を役割として使う
四爻:役割を守り、無理をしない
五爻:自分の場所で花開く
でした。
では上爻は何か。
五爻で得た「自分の場所」を忘れてしまうことです。
例えば、
「人の役に立たなければ価値がない」
「期待に応え続けなければならない」
「もっと頑張らなければ認められない」
と思い始める。
すると、本来は人を支えるはずだった坤の力が、自分自身を苦しめる方向へ向かいます。
ピアサポーターの人生で言えば、
- 支援する側になりすぎる
- 仲間の問題を背負いすぎる
- 期待される役割を断れない
- 回復したからもう弱音を吐いてはいけないと思う
という状態です。
これは一見すると「優しさ」や「責任感」に見えます。
しかし、自分の土台を壊してしまえば、結果的には長く続きません。
ただし、上六は単なる「悪い状態」ではありません。
大地はすべてを受け止めます。しかし、大地にも限界があります。
すべてを背負い続ければ、ひび割れてしまう。
だから、「受け止めること」と「抱え込みすぎないこと」の境界を知る必要があります。
ただし、「新しい挑戦をしてはいけない」という意味ではありません。
問題は、自分の根を忘れて移動すること です。
花が咲いた場所から別の土地へ移植すること自体は悪くありません。
しかし、
- 根を傷つけたまま移る
- 土壌が合わない場所へ行く
- 今まで育ててくれた環境を否定して移る
なら枯れてしまう可能性があります。
ですから坤上爻は、「変わるな」ではなく、
根を持ったまま変われという警告として読むこともできます。
しぶとく生きる易経 坤 上六 龍戦于野「自分を失わない力」
人を支えることは尊い。
しかし、すべてを背負う必要はない。
大地は多くの命を育てる。
しかし、大地自身が傷つけば、命を育てることもできなくなる。
苦難困難を経験した人は、人の苦しみに気づきやすい。
だからこそ、誰かを助けたいと思うこともある。
しかし、
「役に立たなければ価値がない」
「期待に応え続けなければならない」
と思い始めた時、心の中で争いが起こる。
自分を大切にすることと、人を大切にすることは対立しない。
自分の力を守ることも、長く人と関わるための優しさである。
柔らかさにも限界がある。
受け止めることと、背負い込むことを分ける。
それが、しぶとく生きるための坤の智慧である。
乾卦と坤卦の関係
乾為天が、
眠っていた龍が、自分の天を見つけて飛ぶ物語だとすれば、
坤為地は、
大地が龍を守り、育て、力を発揮できる場所を作る物語になります。
だから精神障害者の人生では、乾だけではなく坤が必要になる。
「挑戦する力」と同時に、「壊れないように自分を養う力」があってこそ、長く生き続けられる。
二爻を見てみると、
乾二爻は、大人を見る(心ゆるせる人と出会う)でした。
つまり外とのつながり。
坤二爻は、直方大(自分の土台を整える)です。
つまり内側の土台作り。
乾は「龍が地上に現れて人と出会う」。
坤は「大地が龍を支えられる地盤になる」。
この二つを合わせると、私が理想としている「支え合いながら学ぶ場」という発想にもつながってくるように感じます。自分の土台があり、そして人とのつながりがある。その両方があって、しぶとく生きる力になる。
三爻を見てみると
乾三爻:自分を鍛え、前へ進む
坤三爻:自分の力を蓄え、必要な時に役立てる
乾は「開拓者」。
坤は「育成者」。
人生では、後者の力も非常に大きな価値を持つ場面があると思います。
四爻をみると、
乾四爻は、飛ぶか、まだ飛ばないか。挑戦の迷い。
一方、坤四爻は、出すか、閉じるか。守りの判断。です。
乾は「外へ向かう勇気」。
坤は「内を守る智慧」。
そして坤卦全体の流れを見ると、
初爻で崩れを防ぎ、
二爻で土台を作り、
三爻で役割を持ち、
四爻でその土台と役割を守る。
という非常に現実的な人生戦略になります。
五爻をみてみると、
乾五爻:飛龍在天
自分の天を生きる
坤五爻:黄裳元吉
自分の場所を守り育てる
乾は「天」。坤は「地」。
つまり、
乾五爻は、
「自分の使命を見つける」
坤五爻は、
「その使命を大地に根づかせる」
という関係。
上爻を見てみると、
乾上爻は、高く飛びすぎて、自分を見失う
坤上爻は、受け止めすぎて、自分を見失う
つまり乾も坤も、最後の警告は同じ方向を向いています。
「極端になれば、自分の本来の道から外れる」
ということです。
だから、乾の五爻が、「自分の天を生きる」ならば、
坤の五爻は、「自分の場所で花開く」です。
そして上爻は、「その天や場所を忘れて、無理に別のものになろうとしない」ことが大切です。
乾と坤を合わせると人生の循環になります。
乾:志を持ち、始める力
坤:育て、続ける力
何かを始めるだけでは人生は続きません。
逆に、守るだけでも新しいものは生まれません。
だから乾坤は対になります。
「しぶとく生きる易経」では、要するに、
乾為天は、「立ち上がる智慧」
坤為地は、「立ち続ける智慧」
乾為天の場合、中心にあるのは「創造」です。
乾は、天行健、君子以自強不息
つまり、天の運行のように、自らを励まして止まない。
これは、
- 新しいものを生む
- 前へ進む
- 道を切り開く
という力です。
一方、坤為地は、地勢坤、君子以厚徳載物です。
大地の性質は柔順で厚く、君子は厚い徳によって万物を載せる。
つまり、
- 支える
- 育てる
- 守る
- 長く保つ
という力です。
坤卦感想:
この初爻(初六)を学んだ時、小さな変化に気づく力というので、これは、旧WRAPで習った、小さなサインに気づいて、行動プランを考えておくというものを思い浮かべました。
特に、注意サインなどは、まさにこの辺りを言っているような気がします。
そして二爻は、具体的な行動。WRAPでは元気に役立つ道具箱を使用して行動プランをつくるのですが、しぶとく生きる易経では、自分に最適な正しい生活環境構築を重要視します。それには、自分の弱さや過去の失敗を受け入れたり、支援を受け入れたり、人との違いを受け入れるというのが、WRAPにはない要素かなと思います。自分に最適な生活基盤という正しい土台ができたら、自然に回復の方向に向かいやすいというのはAIの言うことですので実際かどうかはわかりませんが、理屈的には納得できる話ではあります。
二爻で好きなのは、自分の状態を正しく見て、自分を偽らないことというところが大事かなと思いました。
三爻でいいなと思ったのは、必ずしも中心人物になる必要がないということがいいなと思っています。『鬼滅の刃』で言ったら事後処理部隊『隠』みたいな、場作りや後方支援も大事だと言っている感じでとても私的には、全員主役みたいな感じでとても優しいなと思いました。そして、自己犠牲のなく人に役立つという私が最も苦手とすることの解決法が、実は、この前の爻、二爻の土台作りにあったとは驚きでした。
四爻では、役割を持つと大事な土台を壊してしまいかねないようなイベントが増えます。そこで、力をセーブしたり、全ての能力を示さない必要があるということでした。実は、私たちの作った自助会では、4割の力で運営することになっています。これはとても重要な会則だったなと、そして、坤卦に則っていた素晴らしい方法だったのだなと思いました。助言してくださった方々には本当にありがたいなと思っています。
五爻はとても優しいけれど勇気づけられ励まされるところだと思いました。みんなにスーパースターになれと言っていないことが優しい。そして、それぞれの持ち場(向いていること)で自分の力を発揮したらいいんだといってくれているところが勇気づけられました。まさにしぶとく生きるためにはこの項はとても大切な教えだと思います。そして、その真意は、継続。養い育むといった素晴らしい徳だなと思いました。
上爻はこれは思い当たるんです。ピアサポート講座で境界(バウンダリー)の話が出ていて、私の理解したところによると、自分が壊れない範囲でサポートしましょうということだと思いました。今までの流れを見てくると、「境界を守りましょう」ができなかったのは自分に最適な正しい生活環境ができていなかったことも大きな要因だったのかなと。そして、境界を持った方がいいのか否かはわかりませんし、それほどこだわるべきではないのかもしれないと思っています。というのも、本当に相手の人生を考えたら、境界を越えなければならない時があるからです。境界を越えてきた人に私はいつも助けられてきました。だから、バウンダリーはあまり賛成はしていないのですが、自分に最適な正しい生活環境を作ると、自然にそこに自分に最適な領域ができるのかなと思います。それを奪ったり奪わなかったりすると両者存立ができるのかなと現時点では考えています。
この上爻の全てを背負う必要はないという教えは、人を助けたいという優しく、共感力や感受性の高い人は身につけた方がいい教訓かもしれないなと思っています。

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