※注
『しぶとく生きる易経』はしぶとく生きる戦略の参考書です。
易経を参考にしていますが、必ずしも、易経の正解を出すものではありませんし、正確な易の情報を載せていないことを先に述べておきます。
そして、しぶとく生きる参考書ですので、今後の人生を重ねる上で解釈が変わることはあるかもしれません。
皆さんも人生を考察する参考程度にはなるかなと思っています。
乾卦
しぶとく生きる易経での乾卦の意味:「自分の天を生きる力」
自分なりの天を見つけ、その人生に納得しながら息まず生きること
さっそく見ていきましょう。
『易経』では乾卦は龍の物語ですが、『しぶとく生きる易経』では「何度沈んでも再び浮かび上がる龍の物語」
天行健、君子以自強不息
(天の運行は健やかで止まらない。君子もまた自らを励まして息まない)
初爻:潜在能力が一時的に発揮できていない時期
潜龍勿用
潜龍用いるなかれ
潜龍勿用は単なる療養だけではありません。「力がない」のではなく、
力はあるが時が来ていないという意味があります。
だから、発症し、入院したり、自宅療養していても、
- 今は休んでいる
- 今は働いていない
- 今は社会参加していない
状態であるし、「価値がない人間になった」という意味ではない。
龍は水底にいても龍です。
今は無理に動かなくてよい。
潜龍とは、能力がない状態ではなく、能力が眠っている状態である。
精神障害によって本来の力が発揮できない時期は誰にでもある。
しかし龍は龍であり続ける。
焦って飛ぼうとせず、回復の時を待つ。
この「潜龍」の期間は単なる休養期間ではなく、本を書いたり、古典を学んだり、自分の思想を練ったりする「地下水脈の時期」でもあるように感じます。
易経では、後に飛龍となる龍も、最初は必ず潜龍から始まるのです。
二爻:心ゆるせる人との出会い
見龍在田、利見大人
龍が地上に姿を現した。大人(たいじん)に会うのがよい。
ここでいう「大人」は、現代日本語の「偉い人」ではなくて。
徳のある人、
導いてくれる人、
自分を理解してくれる人、
という意味で、『しぶとく生きる易経』としてみたときには、具体的には、
・相談支援者
・支援員
・医師
・看護師
・ピアサポーター
・自助会の仲間
・家族
・友人
・恩師
・本の著者
なども含まれます。
特に、本の著者は直接会っていないですが、その人の言葉によって人生が動くことがあります。
二爻は「一人で生きようとする段階を超える」ことです。
「孤立から関係への回復」です。
・病室から出る
・家から出る
・デイケアへ行く
・B型へ行く
・自助会へ行く
そういう時期です。
よって、しぶとく生きる易経の乾為天は二爻は次のような時期です。
少しずつ社会とのつながりが戻ってくる時期。
家の外へ出たり、人と会ったりできるようになる。
この時期は能力を証明することよりも、心ゆるせる人との出会いが大切である。
支援者、自助会の仲間、友人、家族など、自分を理解してくれる人との関係が回復を支える。
一人で頑張ろうとせず、人とのつながりの中で生きることを学ぶ時期。
三爻:「一日一日を誠実に生きる」
君子終日乾乾、夕惕若、厲无咎
君子は一日中努力を続ける。
夜には自らを省みて慎重である。
危うさはあるが、大きな過ちはない。
しぶとく生きる易経の乾為天としてみた時には、必ずしも「社会で活躍する」ことを意味しません。
- 努力
- 継続
- 自己点検
- 慎重さ
がこの時期は大事だと示します。
三爻 終日乾乾
一日一日を自分なりに一生懸命生きる時期。
活動が増えたり、学びを深めたり、自分の生活を整えたりする。
ただし勢いだけで進まず、その日の終わりには振り返りを行う。
睡眠はどうだったか。
疲れは溜まっていないか。
無理をしていないか。
慎重に自分を見つめながら歩む。
四爻:試しながら自分の天を探せ
或躍在淵、无咎
或いは躍りて淵に在り。咎なし。
飛ぶかもしれない。まだ淵にいるかもしれない。どちらとも定まっていない。
という非常に曖昧な状態で易経は「飛べ」とも「待て」とも言っていない。
「自分の天を探す時期」
龍は飛ぼうとしている。しかし、まだ飛んでいない。
飛ぶべきか、飛ばざるべきか。
進むべきか、留まるべきか。
その間で揺れている時期である。
- 就労移行へ行くか
- 一般就労するか
- 障害者雇用を目指すか
- B型を続けるか
- 学びを深めるか
- 引っ越しするか
- 自助会活動を続けるか
- 本を出すか
など、人生の方向を考える時期でです。
進もうか止めようか。
できるだろうか。
体調は大丈夫だろうか。
また崩れないだろうか。
生活は続けられるだろうか。
息は持つだろうか。
この道でいいのだろうか。
失敗する可能性もある。
成功する可能性もある。
誰にも分からない。
でも、やってみなければ分からない
という地点です。
未来は見えない。だから迷う。不安になる。
しかし、迷うことは悪いことではない。
しぶとく生きる易経はここで「進め」とも「進むな」とも言わない。
進む道も天であり、進まない道も天である。
大切なのは、世間の成功を追うことではなく、自分の生きる場所を探すことである。
人は進んでみて初めて分かることがある。
また、進まないことで見えてくることもある。
自分の天を探しながら揺れる時期である。
五爻:「自分の天を生きる」
飛龍在天
龍はついに天に至る。
しかし、それは世間的な成功を意味するとは限らない。
精神障害者にとっての五爻は、
「健常者になること」でも、
「高収入になること」でも、
「偉くなること」でもない。
それぞれの人に、それぞれの天がある。
ここが私の天だったと納得して力を発揮する時期。
その天が
・大きな仕事
・地域活動
・家庭生活
・自助会
・学問
・創作
どれであってもよい。大切なのは、これが私の生きる場所だと納得できること。
世間の基準だと、易経乾為天の五爻は社長や政治家になるようなイメージになりがちです。
しかし『しぶとく生きる易経』では、自分なりの天を生きている状態です。
すると五爻は「頂点」ではなく、「居場所」になります。
ある人は働くことで力を発揮する。
ある人は家庭を支えることで力を発揮する。
ある人は仲間を支えることで力を発揮する。
ある人は学び続けることで力を発揮する。
ある人は自助会を開き、人が安心して語れる場を作ることで力を発揮する。
その人が、その人のいるべき場所で生きている時、人は自然と力を発揮する。
無理をして他人の人生を生きる必要はない。
比較する必要もない。
自分の天を知り、その天に従って生きる。
それが五爻である。
飛龍とは、高く飛ぶことではない。
自分の天に生きることである。
上爻:「選ばなかった人生への想い」
亢龍有悔
高く昇りすぎた龍は後悔する
『しぶとく生きる易経』では、
人はどんな人生を選んでも、あの道もあったかもしれないという思いから完全には自由になれません
就労した人は、もっとゆっくり生きてもよかったかもしれない、と思うかもしれない。
B型を選んだ人は、一般就労に挑戦してもよかったかもしれない、と思うかもしれない。
自助会を続けた人は、別の活動もあったかもしれない、と思うかもしれない。
結婚した人も、独身を貫いた人も、同じように別の可能性を想像します。
それは失敗ではなく、人生そのものの性質です。
人生には選ばなかった道が必ず残る。
挑戦しなかった人には、挑戦できなかった悔いが残ることがある。
挑戦した人には、別の生き方もあったのではないかという思いが残ることがある。
しかし、それは失敗ではない。
人はすべての道を同時に歩くことはできない。
一つを選べば、一つを手放す。
それが人生である。
だから悔いが生まれる。
大切なのは、選ばなかった人生を羨み続けることではない。
自分が歩んだ人生を振り返り、
「これでよかった」
と少しずつ受け入れていくことである。
人は誰もが完全な人生を生きることはできない。
それでも、自分の天を探し、自分の天を生きたならば、その人生には意味がある。
どの人生にも未練は残るのだから、今の人生を大切に生きよ
ともいえる。
乾卦感想:
『易経』の乾卦の龍の物語は何度か成功のための自己啓発書などにも載っているのでよく知っていました。改めて『しぶとく生きる』というテーマで、この乾卦を見てみると、今回のような視点が浮かび上がってきました。
私が好きなのは五爻の飛龍がその人なりの天で活躍しているというところです。かならずしも、組織のトップになったり、国の重要な人物になるのではなく、世間や周りのいうそれらしい役職や活動ではなく、その人なりの活躍の場で活躍するというところがしぶとく生きるの本心だと思っています。
自分の天を見つけるまでの初爻から四爻までの過程を経て、ついに、その人なりの天を見つけ、そこで活躍する。そして、上爻では、選ばなかった道にも思いをはせながら、自分の進んだ道はよかったんだと受け入れ納得していくために、今を一生懸命生きるということで、とても味わいのある乾卦となったのではないかなと思います。
2026/06/13 15:05:16 キクシェル

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