敬老の日

お花を購入し、祖母宅に訪問した。

よろこんでくれたようだ。

私のできることは、元気な顔を見せることぐらいだが、それでも喜ばれるようだ。

お互いの存在に価値を感じることができ嬉しく思う。

本当はそれだけで十分なのではないかと思う。

社会は余計な価値観で歪んでしまっているのだ。

社会の底辺にいてよくわかることだ。

最近は、社会復帰を考えなくなった。

なぜなら、社会復帰は無理ゲー、クソゲー。

なら、私は無理ゲーやクソゲーをドロップアウトし、異なる道からアプローチする。

その試みは一見ダメ人間のようだが、社会参加をあきらめたわけではない。

言ってて思ったが、ダメ人間というのが古い価値観だ。

社会への負い目や劣等感がそうさせているのだろう。

働かなければいけない、役に立たなければいけないといいながら、安い賃金で重労働が求められた過去がある。

その賃金で得られるものは底辺の物と変わらない。

なら、手放す。

社会参加の方法は少しわかってきた。

社会貢献は私に求めないでくれ。

今までは、責任感でそうしていたが、自分のしたいことをする。

そういう気持ちが強くなった。

社会参加はする。社会貢献はしない。

貢ぎ献上するものなどそもそもないのだ。

『働く』も定義を変えた。

誰かと一緒に喜ぶ活動とした。

これを、私は『働く』という。

それでいいと思う。金は勝手に入ってきて勝手に出ていく。

勝手にしろ。

世間の常識ははなから持ち合わせることができなかった。

そんな私の存在を喜んでくれる祖母。

ありがたい。

もう少しの時間かも知れないけれど、笑い合いたい。

2026/09/21 6:07:50 キクシェル

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