『法華経』について、法華経に書いてあったことについて少し述べておきます。
理想としては、一度、鳩摩羅什訳を現代日本語に翻訳したものを読まれてみるといいかと思います。
ただ、18万文字ぐらいになるので、ちょっと多いし、著作権の問題とかもあろうかと思うのでのせられないと言うことで、そこで、私が少し抜き出したものを書いておきます。
一緒に学んでいきたいと思います。
『法華経』の中にこういう一文があります。
諸仏世尊は、衆生に仏の智慧を開かせ、それを清らかなものにするために、この世に現れる。
衆生に仏の智慧を示すために、この世に現れる。
衆生に仏の智慧を悟らせるために、この世に現れる。
衆生を仏の智慧の道へ入らせるために、この世に現れる。
諸仏如来は、ただ菩薩を教化するのである。
三乗を説くとしても、本当の目的は菩薩を教えることです。
この文を読むと、私の理解では、如来は菩薩を教化することが目的のひとつであるということです。
そこで、菩薩は何をするのかと言うことですが、これは、六波羅蜜の実行が言われています。法華経に明確に書いてあることではないですが、菩薩の行ないには六波羅蜜が重要であるとよく言われています。
布施=人に親切にし、仏心をそだてる
法施、無畏施、無財の七施(身施、眼施、和願悦色施、言辞施、心施、牀座施、房舎施)
持戒=仏の法に則って身を慎む
忍辱=他人に関して寛容になり、平静な心を保つ
精進=如来の目的のために正しく励む
禅定=真理が心に定まっている境地
般若=真理を見極め、真理によって判断し行動できる
如来がなぜ菩薩を教えようとしているのか。
如来が仏の智慧を衆生に持って貰いたいのだと思っています。
私は今、知っていることや考えていることについて、皆さんに提供しています。
これも法施ということになるので、六波羅蜜の実行をしているということになります。
六波羅蜜については私自身が実行の過程にいるものですから、全体像がまだつかめていませんが、おおよそ先にいわれたことなのではないかなと思います。
それでは、法華経にもどりますが、
衆生が如来の教えを聞き、それを受け持ち、読み、唱え、教えのとおりに修行したとしても、自分自身では、その功徳がどれほどのものかを理解していない。
なぜなら、この衆生がどのような種類・姿・本質・性質を持ち、何を思い、何を考え、何を修行しているのか、どのように思い、どのように考え、どのように修行し、どのような法によって思い、どのような法によって考え、どのような法によって修行し、どのような法によって何を得るのかを知っているのは、ただ如来だけだからである。
とあります。
如来様にとっては何でもお見通しというところでしょう。
心に大きな喜びを生じ、自分も必ず仏になるのだと知りなさい。
こんな一文もあります。つまり、皆、仏となる道の途上にいるのだということです。
であれば、皆、菩薩行をしていくことが唯一の道ということになるのではないかと思います。
その菩薩行が六波羅蜜の実行ということの理解をしています。
法華経にもどりますが、
その名を『妙法蓮華』という。これは菩薩を教える教えであり、仏たちが護り念じている教えである。
「菩薩を教える教え」が書かれているのがこの『法華経』であるという理解でいます。
法華経の中には
みだりにこの教えを広めてはならない。
というところもあります。皆さんもここだけの話にしておいてください。
ほかにも、説いてはならないという箇所がいくつかあります。
法華経にもどります。
今、あなたたちのために、
最も真実のことを説こう。
声聞の人々も、
決して滅度して終わるのではない。
あなたたちが現在行っている道は、
菩薩の道である。
これを次第に修学していけば、
あなたたちは皆、
必ず仏になるのである。
先ほどもかきましたが、意訳をすれば、「迷わず菩薩の道を行けばいいのだ」ということが書かれているのです。
その際に、授記というのがあるのですが、仏からのひとつの希望というか安心というか、「私は仏になれる」という絶対的安心が喜びを生み菩薩行を軽くしてくれるのではないかなと思っています。
ひとつ重要なことが、菩薩行を完遂しなければならないということではないと思います。ここは、書いてあるわけではないのですが、菩薩行を行っている人は様々な段階の人がいると思うのです。だから、その段階に応じた菩薩行でいいので実行するということが大事なのかなと思います。そのうちに、色々なものがわかってくるというような状態になるのではないかなと思います。ここは法華経に書いてあることではありませんのでご注意ください。
「これは苦である。
これは苦の原因である。
これは苦の滅である。
これは苦を滅する道である」
という四諦が説かれ、十二因縁も説かれます。
無明を縁として行が生じ、
行を縁として識が生じ、
識を縁として名色が生じ、
名色を縁として六入が生じ、
六入を縁として触が生じ、
触を縁として受が生じ、
受を縁として愛が生じ、
愛を縁として取が生じ、
取を縁として有が生じ、
有を縁として生が生じ、
生を縁として老・死・憂・悲・苦・悩が生じます。
そして、
無明が滅すれば行が滅し、
行が滅すれば識が滅し、
識が滅すれば名色が滅し、
名色が滅すれば六入が滅し、
六入が滅すれば触が滅し、
触が滅すれば受が滅し、
受が滅すれば愛が滅し、
愛が滅すれば取が滅し、
取が滅すれば有が滅し、
有が滅すれば生が滅し、
生が滅すれば老・死・憂・悲・苦・悩が滅します。
チャットGPTに聞きました、無明を滅することは、
「世界について何も知らない状態」から「物事がどう生じ、どう苦を生み、どうすれば苦が減るのかを正しく見る智慧」へ移ること
つまり、四聖諦を正しく見ることができれば無明は滅されると理解しました。
法華経では触れてありませんが、八正道というものもあります。
「八正道(はっしょうどう)とは、仏教で涅槃に至るために釈迦が初転法輪で説いた8つの実践項目(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)」とあります。
私は、正しいと言うことが良く分かっていませんでしたが、正しいとは何か。
英信菩薩は、正しいは基準があるのではないかということでした。
その基準は、仏法であるということです。
世間で正しいとされていることではなく、自分も他人も苦しみから離れ、安穏であること。
如来の目的にかえると、衆生に仏の智慧をさずけることになりますから、自分も他人も苦しみから離れ安穏であるための智慧が正しいことなのかなと思います。
ここは私見ということになるので、訂正がある可能性がある箇所です。ここは法華経に書いてあるわけではありません。
法華経にもどります。
妙法蓮華経 法師品 第十
薬王よ、今あなたに告げます。
私が説いた無量の経典の中でも、
この『法華経』が最も第一のものです。
私が説いた経典は、無量千万億もあります。すでに説いたものも、今説いているものも、これから説くものもあります。
その中でも、この『法華経』は、最も信じることが難しく、理解することが難しい経典です。
薬王よ、もし菩薩がこの『法華経』を聞いて、驚き、疑い、恐れるなら、その人はまだ仏道を求め始めたばかりの菩薩だと知りなさい。
英信菩薩はまだ、驚き、疑い、恐れている状態です。
ですが、漸健と一緒に菩薩行を歩んでいきたいと思います。
(合掌)
2026/10/01 6:15:02 漸健

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