安心してしぶとく生きる(神仏の北極星)

偉そうなことを書いてきて思うのは、自分としてできることはするけれども、無理そうなことは改善要検討といったところでしょうか。

そういう智慧も、仏教の仏典にはありそうです。

大筋、間違わなかったらいいのかなと。
大筋とは何かといえば、自他の幸福を願い、自他の苦痛がとれることを願い、自他の意志を大切にすること。

今まで述べてきた慈悲と尊重の方向です。
神仏の方々は慈悲と尊重の魂だと思いますので、そちらの方を向いて歩いて行くということです。

例えるなら、人生の航海における、いわゆる北極星でしょうか。

必ず慈悲と尊重の先には神仏という北極星があるということで、人生の困難があって、多少迂回したとしても、その神仏の北極星は必ず人生の旅路を軌道に戻してくれる役割を果たすのではないでしょうか。

神仏の北極星が見えなくなっても、雲は流れ、必ず晴れます。
その神仏の北極星が見えるまで無理に動く必要もないのかも知れません。
道に迷って踏み外しても、何度も何度も修正して方向を神仏の北極星に合わせる。
神仏の北極星がそこにあることに気づきさえすれば、修正は容易です。
その神仏の北極星が慈悲と尊重の先にあるのではないかというのが私の今の見解です。

となれば、行く道は慈悲と尊重の実践ということになろうか、というところでした。

私自身、迷いもするし、感情が揺れ動くことはあります。
道を外しそうになることもこれからあるかもしれません。
そういう時は、慈悲と尊重の先にある神仏の北極星を思い出すことをしたいとおもいます。
そうすれば、道を阻まれ、迂回することはあっても、神仏の北極星が見えていれば、向かう方向自体は間違わないのではないかと思います。

人間ですから、間違うこともあります。

だからこそ、めげずに軌道修正をかけ続けて、神仏の北極星を目印に、先に進むことが大事なのかも知れません。

力不足のこともあるとは思いますが、慈悲と尊重の実践を続けていきたいと思います。

2026/10/29 19:53:35 三日漸健

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