不意に死にたくなりました。
自己否定、無力感、自分の存在価値否定など。
私は、色々なものを人と比べてしまうようです。
そして、自分には足りないと思ったり、できていない自分が悪いのだと責めることもありました。
そんなことは無意味だとわかっていながら、そうしてしまう自分がいるようです。
安心してしぶとく生きるを提唱してきた手前、簡単に自分が死ぬのも滑稽だということで、自分をこの世から消さないブレーキにはなったのですが、その分その縛りがしんどかったりもしたりしました。
安心してしぶとく生きるなんて、調子のいいときはいいけれど、調子の悪いときは厳しい。
笑ってしまうぐらいのことなんですが、しぶとく生きるなんて言って、自死できない足かせをつくったのか。
こういうときに自分がぬけぬけとしぶとく生きるとか宣言しておくと、自死に到るブレーキにはなりました。
そのブレーキがありつつ、今回は、相談先も使えないと言うことで、とりあえず、感情の発散と思考の整理のため、口に出して言葉にする試みである『安心してしぶとく生きるラジオ』録音によって、ある程度の解決にはなりました。
先日のずんどこカフェでも、話す、書くは有効であるという話もありましたし、実感もありますので、それをした形になります。それが、相談という形ではありませんが、ある程度の感情処理はできた形になります。
ですが、根本的な解決というのは実はできていないということです。
安心してしぶとく生きるには、やはり、一人では難しい。
つながりを過度に信奉するわけではありませんが、孤独はやはりしんどい。
ですが、ある程度は一人でも解決できなければ、負担を押しつける形になるので、一人で解決する方法をとることの方が絶対的に多いです。そのための工夫もかなりできています。
ですが、最終的には自力の限界というものでしょう。
いよいよ、私も限界が近いようで、しぶとく生きるといってきましたが、人間というのはやはり、人と人との関係が大事なのです。
一人で回復しても空しいだけ。
なんかそう思う次第で。
そういう意味では、完全に回復するにはある程度気心の知れた仲の仲間とのやりとりが大事なのかなと思います。
今回はそれもないとなるとやはり、どんどん暗い方へ、闇の方へ流れていくことになります。
安心してしぶとく生きるでは、そこからどう、安心してしぶとく生きていくかということです。
救われているはずなのに救われていると感じられない。
自己否定しているときはそうかもしれません。
ですが、救いの神仏は私たちが自己否定から出ることを待っていてくれているはずです。
自分を責めたり、自己否定は自分でしていることなので、それをやめればいいだけです。
自己否定をやめ、救いを信じることでしょうね。
そこは、もう救いを信じるしかない。
そして、救いは、強制的にどこかに連れて行ってくれる人が現れるわけでなく、自分が手を伸ばしたりする必要もあるのだと思います。
苦しい。
そんな声もきこえてきますが、そんなときは、苦しいままにしゃべって、書いて、その苦しかったことを乗り越えようとしてもがいている姿をさらしたらいいと思います。
それが、今できる私の最大限のことかなと思いまして、このブログを書いているわけです。
自己否定、自分を責めてしまった自分ですが、自死を乗り越えようとするとき、しぶとく生きるの本領発揮なのです。
自分はこの世にいらないのではないか。
そんなことを考えたりもしましたが、存在するだけで価値があるんだと。そんなことを言ってきておりました。
でも実際、価値なんてないんじゃないか。社会の役にも立っていない。
いいんだよ。むしろ、社会の方が私の役に立たなければならないのだから。
役に立たない社会の方がおかしいんだ。
自分を責めることや否定することに意味ないとわかっていながらも、不意に自分を否定して自分の価値を感じられなくなる瞬間。
今回はそんな感じでした。
誰かに光を灯そうとする気持ち、それが価値なんだな。
それは、意志があればそれは可能。
誰かに光を灯そうとあがくなかで、自分の中にある灯火に気づく。
そんな感覚です。
その灯火こそが価値。
誰かに光を灯そうと決意することは、誰にでも可能なこと。
それこそが、存在する価値につながっているのかも知れない。
今回は、死にたくなったという、絶望の淵に立っていたのですが、ブログを書くなかで、最終的には、誰かに光を灯そうとすることが私にもあった価値だったことを知り、自死を免れました。
あがいた感じというのはあまり見られなかったかも知れませんが、ブログを書きながら、考えるというのはとても大事なことでした。
結局、今回も自己解決でした。
ある程度は、自殺回避は自分でもできるのだなと思います。
自殺願望ある皆さんも、あがいてみて下さい。
そうすれば、少しは生きてみようかという気になるかも知れません。
今回は、人との比較からくる、自己否定、無価値感に起因するものでしたが、自分の中にも誰かに光を灯そうという気持ちがあるということ自体が価値であるということに至り、自殺回避が行われました。
安心してしぶとく生きる。
実践できてよかったです。
2026/09/27 2:09:55 キクシェル

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